2010年5月13日(木) ぼぼぼぼ〜っとしとおります。今日は久々のお休みー! 幸せ噛みしめながら窓の広いお店で寛いでます。 覚える事も若干あれど、夜迄寛ぎますよ。ムフ。 今年も「日本語を読む」、この催し始まって初の休憩入りの大作!?に挑戦し、 ヘロヘロな思いもしましたが、楽しかったぁ〜。 三島さんの言葉は美しく飾り立てられていて、口の回りはどーなのさ!の心配もありましたが、 読み始めるとその世界に入りやすく、家庭内サスペンス(と、思いながら私は読んだ)の世界を 堪能致しました。終わってから観にきてくれた友人達に「怖いよ〜。あれ、自でしょ、絶対!」と 言われ「貴方に迄そう見えれば成功よ。」と、作中の言葉そのままの気になるのでした〜。 もう一方の「老花夜想」はまたまた詩的な作品で、黙読していた時にはイメージがなかなか掴めない 感じだったけど、人の声を通して聞いて、いろいろ情景が浮かび、ほほーぅと思わされる作品でした。 このシリーズは本当に勉強にもなるし、面白いです。また何かの形でやれると良いな〜。 |
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2010年5月16日(日) 幾分時間の経ったお話ですが、小林公平さんがお亡くなりになりました。 最後にお会いしたのは麻実れいさんの何かのパーティーの時で (多分大きな演劇賞を続けてお取りになった御祝い。)、二、三年前でしょうか。 宝塚関係者、退団後の演劇関係者、そうそうたる方々が発起人の素敵なパーティーでした。 私の在団中、小林さんは大きな体躯の方で、スーツ姿もビシッと決まる反面、 おっとりとした風情を醸し出すおじ様でした。大きなグループを切り盛りしているハードな面も 多々おありだったのでしょうが、生徒の前ではいつもニコニコ。 そのお姿が焼き付いていたので、パーティーの時には、随分痩せられたな、と思いつつも、 「頑張ってるね。僕はもうおじいちゃんになっちゃったよ。」と、声をかけて頂き、 しばしお話しをさせて頂きました。 私がまだまだ右も左もわからぬ下級生時代。会社内で阪急ブレーブスを手放すか 宝塚歌劇を手放すかと話し合いが持たれているらしいと、生徒間に真しやかに噂が流れた 時がありました。中学卒業の甘ちゃんの私には、それがどういう意味を持つ事なのか さっぱりわからず。後に発表されたのは「ブレーブスを手放す。」その時、私達を守る為に ご尽力してくださった筆頭が小林さんでした。近鉄が後に、歌劇と球団のどちらかを手放すという 同じような時期があり、近鉄は歌劇を手放しました。私はもう宝塚を退団した後の事でしたが、 その時にはそれが団員にとってどれだけ辛く、夢を絶たれてしまう残酷な事なのかが流石に 解る年になってました。 他劇団での出来事でしたが、同じようにレビューを上演する劇団がそのような形で行き場を 失った事に大きなショックを受けました。形を少し変えつつも、未だOSKに残った皆さんが、 大きなバックを失いながらも存続し、公演を続けている事、好き!という思いの強さは凄いな! と感銘を受けます。あの時、宝塚が残らなければ、今、好きな芝居を続けている自分はいたのかしら。 訳も解らず宙ぶらりんなまま、何がしたいかも解らずに過していたかもしれません。 宝塚に育てて頂いた事は、私の生きてきた中で本当に大きな、大切な時間でした。 宝塚がこの先もお客様に愛され、ずっと受け継がれていく事を願って止みません。 本番前の稽古で、お別れの会にもうかがえず、いやんなっちゃう位、不義理な私です。 天上で幸せな時をお過ごしください。合掌。 |
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2010年5月26日(水) 雨ですね〜。夏日もまだ早すぎる気分だけど、案外涼しい日も多いので、体温調節しっかり やらないといけませんね。只今、日本青年館で「リラの壁の囚人たち」上演中。懐かし〜。 振り付けの伊賀先生が「舞台稽古遊びに来たら」と声をかけて下さったので、自分の稽古終了後、外苑へ。 主役の方二人のデュエットしてる場面と洗濯のダンスシーンだけ観れました。が、ダンスシーンは 「こんなのあったっけ?」と浦島太郎状態。ジョルジュ役で車椅子の人だったからそりゃダンスは 参加してないもんね。記憶にないハズ。初演が山田卓先生振り付けというのもすっかり忘れてました。 22年前だって。こっわ〜。あんまり足したり引いたりしたくないな〜。 今は亡き演出の小原先生に、「久世クン、チャタレイ夫人見ときなさいや。」と、まだ何をやるのか 知らない時に劇団の廊下で言われた光景が浮かびます。素敵なアドバイスをサラッと教えてくださる 先生でした。Me&MyGirlの初演も先生。あまりにも早かったお別れが本当に残念でなりません。 青年館のシートに身を埋めながら、下級生の頃の事をいろいろと思い出しました。 あの頃も今も、大切に。 声をかけて下さったウッコ先生に感謝です。 久々にゆっくりお話できて楽しかった。 ありがとうございました。 |
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