2008年8月7日(木)


あっづ〜!じりじりじりじり〜っ!家を一歩出た途端、熱波が!!
昨日迄赤坂に通っていた私。ま、車だけど。ここまでの照りは感じ
なかったどっ!27日の真夏日更新とかラジオから流れてきてます。
そんな頑張んなくてもって話ですよ。夏だけどさ。
真夜中の散歩に出てる愛犬家率高し。そりゃそうだ、これでは
肉球水ぶくれになっちゃいますよ。外のニャンコは大丈夫かなぁ。
今日仕事先でえいすこ様とばったり。
「久世ねえは車?今日は焦げるわよ〜。
流石の電車人間の僕も今日は車にします。」とタクシーを呼んで
ましたわさ。んだんだ。車の中でも充分蒸されてますよ。
明日から「いわき」です。本家本元にみんなで行ってきます。
一番ドキドキの場所です。あったかく観て頂けるといいなー。
でも東北行ったらちょっとは涼しいかな?







2008年8月9日(土)



いわきに来てます。昨夜は七夕祭りだったらしく到着した端から人人人。
「タクシーに乗ってください。」と、制作さんからチケット
頂いてましたが交通規制ばんばんって感じ。意外に近くにホテルが
見えたので街中を歩いて行きました。たまに「おら」とか「すんげぇ」
とか聞こえてきて「おお!地元だっぺよ」と思ったり(単純反応)。
今日はゲネの時間迄、空きがあったので常磐炭鉱のあった湯本に
ふらりと行ってきました。ハワイアンセンターのみ直行しようかと
思ったのですが、私はどちらかというと炭鉱の名残のある所が
見たくてタクシーの運転手さんに急遽簡単にガイドして頂く事に。
常磐炭鉱自体はハワイができてからもう殆んど何も残らず、
炭坑人の住んでいたハモニカ長屋も団地の形態に変わっていたり、
唯一第五鉱入口が会社の敷地の中に入り口をコンクリートで
埋められて残っていたり。石炭を掘って運んだトロッコ列車の
線路後が立派な道になっていたり。ハモニカ長屋の姿を見れる
という事で、近くの小野田炭鉱があった所に寄ってみたりしました。
「あの病院も前は炭鉱の病院だったんだよー。」
「あそこの病院は前はなかったけど奥におーきな池があってね、
一年に一度鯉釣り大会があって炭鉱の子達に混じって私も遊びに
行きました。」「常磐炭鉱の人達はもうあまり残ってないですねー。
炭鉱がなくなって殆んど関東に出ていきました。
あとはハワイアンの会社にはいった人達くらいかなー」などなど。
お話し聞きながら常磐の空気を吸って参りました。
炭鉱があった頃にはかなり大きな街だったのではと思われました。
勿論、ハワイアンセンターにも寄ってきましたよ。
ここにもびっちりハモニカ長屋が建っていたなんておよそ信じられない
景色でした。この場所からあの物語が生まれたんだなーと、
感心しながらいわきに戻ってきました。
これからの公演で吸ってきた空気が如何程の効力を発揮するかは?だけど、
知らないよりは知ってるほうがいいっぺよ〜と思い、精進致します。


2008年8月11日(月)


いわきからの帰りです。東北地方にはあまり縁がなかったので
車窓からの景色も新鮮。昨日の二回公演、いやぁ地元のお客様は
熱い!優しい!ライヴ感の強〜い公演でした。
オペラハウスのような四階席迄ある客席に愛情が蔓延してました。
フラシーンのゲネ中に三階席の一番前で観てみたのですが、
何気に前のめりぎみで立ち上がった時にふらつきそうに。
ひーっ、こりゃ高所恐怖症の人はダメだわ、と思いましたよ。
皆さん大丈夫だったのかなー。二回公演目の最初のオーバーチュアが
鳴り出した時に、客席から拍手が沸き起こったのを裏で聞いていて
やっぱり「フラガール」はこの地の物なのだなーと思いました。
昼公演も凄かったけど夜のフラのシーンの後は客席から本当に
沢山の歓声が飛んでいてまんまハワイアンセンターかと錯覚しそうに
なりました。客席にいたスタッフの方が年配のお客様に
「あの頃は本当にあんな生活だった。懐かしかった。良く描けてたね。」
と話して頂いたそうで。最盛期には大きなお金が動き、それに伴う
悲惨な話も本当に沢山あったそうですが、衰退して沢山の鉱山が
潰れていく中、これだけの復活を遂げた場所は国内は勿論、
海外でも例を見ないそうです。昨日はまどか先生のモデルの
早川先生がフラガール一期生の方達といらっしゃってましたが
皆さん華やかで元気!実年齢より十歳はお若く見えるんじゃないで
しょうかね。恐るべしフラ。ビバ!アンチエイジング。
公演終わったらこっそり習いに行って・・ないな。
と〜っても女性らしい踊りだからオラの管轄外だべと心底思ってるので。
んでは次は福岡に行ってきやす。

   
   



2008年8月17日(日)


福岡から帰ってきましたよ〜。外に出てる時にはラッキーにも
降られずにすみましたが、公演日は昼間すっごい雨でした。
お客様は行き帰り大変な思いをされた事でしょう。
客席はいわきとはまた違った盛り上がりで、カーテンコールの
時には頭の上で手拍子したりしてほぼオールスタンディング。
客席も縦長だったので迫力ありました。でもそれだけ熱く盛り
上がっても、カーテンコールの曲が終わるとあっさり拍手も
終わるといった感じで、「ささ、帰りましょ」となるのが袖で
モニターを見てて面白かったです。南国気質なのかおおらかな
お客様だった気がします。多分この会館、宝塚時代の地方公演で
来た事あるような気がするんですが、どうなのかしら。
宿泊していたホテルのすぐお隣が「博多座」だったので、
ミーマイ公演中の昔月組でお世話になった京さんにも
お会いしてきました。ぜーんぜんお変わりなくお元気で、
これも持ってけーあれも持ってけーと、手ぶらで伺った私は
どうすりゃいい?というくらい、愛情とおみやげを頂いてきました。
久々屋台のトンコツラーメンも食してきましたよ。
でも最近美味しい物は都会ならどこでもあるし、名産品もあちこちで
手にはいるようになっちゃったので宝塚の地方公演中に初めて食べた
トンコツの味の感動はなくなっちゃった気が。
大人になって味覚も変わったのかな。
さ、明日はちょいと緊張するお仕事に行ってきやす。
懐かしくもありますが多分その前に緊張の二文字がぶら下がるはず。
でも楽しんできたいと思ってます。






2008年8月27日(水)



大阪も終わり、名古屋に来てます。大阪千秋楽の日に初体験をしてしまいました〜。
公演終わって友達二人と食事をし、超ご機嫌で新大阪に向かい、座席指定を済ませ
改札を抜けふらふらしていたら、「動いてないよ〜。動いてないよ〜。」と同日
千秋楽を迎えた某劇団の演出家が言っている。「??」と思っていたら熱海で
雨量が規定量を超えて列車が停まっているらしいではないか。
ちょっとちょっと!みどりの窓口じゃー、なーんにも言ってくれなかったよ!
貼り紙とかもなかったよ!とその場に居合わせた某演出家、その劇団の公演に
係わっている某音楽家夫妻と途方にくれる。
フラガールも某劇団公演も同じような時間に終わってる為、すぐ新幹線に
乗って帰った人達に電話を入れてみるとまったく動いてないという。
これは・・もう一泊するしかないねーという事になり、皆でホテルに部屋を取り、
夜の街に繰り出した。それはそれは不思議なメンツである。っていうか私が。
状況が知りたくてお店のテレビをニュースにして貰っても携帯で調べても
なーんにも出てこない。「なんで?私達は大変でも世間はそうじゃないわけ?」
と口々に言いながらオリンピックの閉会式やらダイジェストやらを見る。
そうだよねー、この時期はやっぱ全てオリンピック仕様なんですよ。
でもでも、テロップくらい流さね?やっぱり新幹線サイドの仕切りが悪いよね〜。
と、またも口々に言い合う。そして某演出家と私はどうせ乗るならN700に!
と翌朝駅に向かい、時間があったのでモーニングなぞ食していたらテレビ画面に
「東海道新幹線、雨の為運転見合わせ」の文字。な、な、なに〜。
二日に渡ってかい!昨日違う用事で大阪泊だったマネージャーさんに確認を
入れると、京都の先で停まっているという。
取り敢えずN700の席に座るも「しばらく発車しない見込み」のアナウンスが。
「伊丹から飛行機?」3時に東京で用事のある私は絶対帰りたい。
某演出家も流石に仕事終わって大阪に二泊する気はないらしく、
「行く?伊丹。」そこへ「しばらく発車しない見込み」のアナウンスが。
行くっきゃないっしょー。見込みないんだから。
払い戻しをする間、携帯から予約を入れてチケットゲット。
リムジンに乗りながら「ねえ、結局新大阪には我々はモーニングを食べに
行っただけなの?」とまたもや口々に。某演出家は過去に七時間新幹線に
閉じ込められた事があり、あれはもう嫌だという。そりゃ、そうだ。
閉じ込められずに済んだ私達は運が良いというもの。
空港てお茶しながら私達の乗るはずだった新幹線に残った人に連絡すると、
「30分遅れで出発した」との事。某演出家、「なんか・・悔しいぞ。」
とボソリ。「責めて先に東京に着きたい・・」ボソリ。
「実は飛行機、大っ嫌いなんだよね。」
え〜っ、じゃあ残ってたら良かったじゃん!でも多分、先に着いてるよ。
マネージャーさんからその後、「二時間遅れで着いた。」と連絡あったから。
私達のN700は時間差でもう少し遅れてるはず。本当にとんだ珍道中でした。
でも、こういう時に一人じゃないって素敵な事ねん。

話は全然変わります。名古屋に着いたその日、事務所からファックスが
届いてました。「以前所属されていた深浦加奈子さんが逝去されました」
優しい先輩でした。御病気だとは聞いていたけど、こんなに大変な病気とは
思っていませんでした。長かったね。何年も闘って、偉かったね。
最後にお会いしたのはパルコでのリーディングを観にきてくださった時。
闘病してる様子なんて微塵もなかった。会うといつも気さくにいろいろ
お話ししてくださって。私なんてきっと深浦さんの知り合いの中じゃ、
全然新入りで何も知らない奴だと思うけど。なんだかすごくショックで。
でも、お芝居をちゃんとやっていく事が最高の深浦さんへの感謝の気持ちだと
思って。深浦さんが生きていた事を、私なりに胸に刻んで、
前に進もうと思っています。ありがとうございました